2013年10月22日
初めてのブルドッキングヘッドロックを終えて、改めて記事を書く機会をいただきました。
なので、個人的なことを振り返って、私、鳴海由莉自身のこと、語らせていただきます。
私は、1993年の中学生合唱部員・目黒(めぐたん)と、2013年の野鳥サークル“旅烏”の三岳として、皆さまの御前に立たせていただいておりました。
めぐたんは、鼻の近くに大きいほくろがあって、男子に「あいつハナクソ付いてんぜ」と揶揄されます。
かくいう私鳴海も、産まれつき口元にほくろがあって、いじられはしなかったもののずっとコンプレックスでした。
それが解消されたのは、中学生時代の友人の
「ゆりちゃんのほくろいいなー。セクシーじゃん。」
の一声によってでした。
物心ついた頃には既に
「大人になったらこのほくろだけは取る絶対に取る!」
と息巻いていたのに、14歳の私はその瞬間
「私セクシーな大人になればいいいんじゃん」
と視界が開けた思いをしました。
めぐたんと、鳴海のなんだか親くて愛しいところ。
逆に、遠かったところも。
鳴海は中学時代はソフトボール部でした。
部員も少なくて、12,3人くらい?その中でもずーっとベンチにいました。
正直に言うと、部活に対して情熱も楽しみも信頼もありませんでした。
だから、きっと弱小で同級生からもナメられていたであろう合唱部に在籍して、団結できる仲間がいて、進学しても合唱続けてやるんだという信念を掲げられるめぐたんは、羨ましい。
そんな距離感で鳴海はめぐたんと出逢い、先生やクラスのみんな、そして合唱部メンバーとの時間を生きていました。
三岳たんについて。
私は大学1年生の間だけ、明治大学の駿台映画製作研究部というところに在籍していました。
先輩方や同期の撮る映画に役者として出演させてもらっていて、夏休み、鳴海の故郷・福島にある父の実家で1週間くらい泊まり込んで撮影をしました。
宿は、会津若松市内にある鳴海の実家を提供したので、普通の一軒家。
先輩同級生、あと私の親族やペットのうさぎを巻き込んでの男女入り交じった共同生活の期間中は、驚くほど健全でした。
期間中は、ね。ふふ。
そんなことを思い出しつつ、現代の大学生という意味では、等身大の延長線上で立たせていただきました。
鳥について勉強するのは初めてのことでしたが、大阪に前乗りした日に、万博記念公園に行ったメンバーの中には御小島(小島さん)と橋爪(いくみさん)もいて、公演の自然と戯れ、鳥を観察してあれやこれやと語ったことが、更なる助けになりました。
野鳥サークル“旅ガラス”のペンションでの合宿では綻びが出てしまったけど、大人と子供の狭間ゆえのあやまちと愚かさと危うさが、おかしみとなってお届けできていたら幸いです。
振り返れば返るほど、語り尽くせない思いの上に、二人の人物との時間を過ごしておりました。
あ、あと、劇中には“ゆり”さんがたくさん登場していましたね。
稽古中から毎度毎度、返事をしそうになっては、あ、私のことじゃないやって挙動不審になってました。
“ゆり”と呼ばれないあの人と、何者でもない私の心情が重なって、回想の両親(寺井さん・津留崎さん)の声や山小路(西山さん)の「百合ちゃーん!!」に泣きそうになったりしてました。
裏側の話も少しだけ。
今回のツアー、本当にスタッフさんに支えられてなし得た公演でした。
ツアーメンバーとして同行してくださった、舞台監督の伊藤新さんは、椿組の野外公演など俳優としての姿を拝見したことのある方でした。
照明の矢野一輝くんのオペで光を浴びるのは4回目。
お互いにお互いの進化をぶつけ合える良き仕事仲間になりました。
音響の高橋真衣さんは、気付かない間に現場で何度かお会いしていました。
本編中、音に関わるところでやらせていただいているお仕事があったのですが、ブースまで感覚を研ぎ澄ませて息を合わせる感覚がたまりませんでした。
挙げていけば切りがなく、お世話になったかたひとりひとりをご紹介できず歯痒い思いですが、本当に、感謝の念が絶えないです。
スタッフさん方のお力の上に、そして、ブルドッキングヘッドロックの歴史を築いてきた先輩方、ひいては、演劇の歴史の上に在らせていただいている私。
だからこそ、誠心誠意の限りを尽くして今後も劇場で皆さまとお逢いできますよう。
ブルドッキングヘッドロック次回公演は2014年6月に、三鷹にて。
当日パンフレットに掲載されていたタイトルは『おい、キミ失格』。
ひとつ旅が終わり、かの文豪と出逢うべく旅立ちの準備を始めました。
では、失敬。
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